かんがえごと


ミライ

「なんかカッコイイよね」というのはカッコ悪い。

ここ数年、『デザイナーズ◯◯』という言葉を聞くことが減ってきた気がする。ただの流行り廃りだったのだろうし、ひょっとしたら東日本大震災を経て日本人の趣味嗜好が変化してきたのかもしれない。少なからずデザインに関わる人間として、あれほど恥ずかしくてダサい言葉はなかったし、「docomo2.0」的なやっちゃった感がぷんぷんする流行語だった。それはなぜか?全ての人工物にはほとんどの場合、デザイナーもしくは設計者が関わっているため、本来的には全てのモノがデザイナーズなんだけれど、「スタイリッシュ」という20世紀的なデザインに「デザイナーズ」という付加価値(的なもの)をつけて高く売りつけようという、詐欺まがいの商法だからだ。多くの方に怒られるかもしれないが、僕は家電ブランドのamadanaがその尖兵だったと思っている。

さて、本題に入ろう。
「なんかカッコイイよね」と言っちゃうデザインに関わる人が多すぎないかい?という話をしたい。広告やプロダクトやUIなんかに従事する人であれば「カッコイイ」ことが表現の中の一手法でしかないことは、すんなりと共感いただけると思う。広告やプロダクトやUIなんかは「カッコイイことが好きな人」だけに対して表現をしてるわけではない。攻撃的なデザインが好きなバブル世代(イメージで言ってるけど)に対しても、わかりやすいデザインが好きなお年寄り世代に対しても、元気なデザインが好きな子供世代に対しても、もちろんカッコイイことが好きな若者世代に対してもデザインを行っていく。その中で「カッコイイ」ということはひとつの選択肢でしかなく、デザインする目的によってカッコイイことを追求「したり」「しなかったり」する。

ここで一つ質問。
今僕が言ってる「カッコイイ」と聞いてどんなイメージを思い浮かべているだろう。未来っぽい感じ?シンプルな感じ?黒っぽい感じ?赤っぽい感じ?appleな感じ?
そう、「カッコイイ」という価値は一つではなく、人によって、時代によって、TPOによって変化する。

例えば僕が思うかっこいいデザインは、「iPhone(もしくはスティーブ・ジョブズ)」であり、SUZUKIのカタナというバイクだったり、亀倉雄策というグラフィックデザイナーが作った東京オリンピックのポスターだったりする。iPhoneはジョブズの持つ思想性と完成度に対してかっこいいと思い、カタナに対してはプロダクトの美しさと機能性の共存、東京オリンピックのポスターに関してはグラフィックとしての強さ。それぞれに対して“違う”カッコ良さがある。
こうした例を挙げるまでもなく、かっこいいとは多面的な価値を持っている。もしかっこいいという価値を3つに分けるとするならば、
・メッセージ(思想性)
・スタイル(時代感)
・形状(美観)
の3つがあるんじゃないかと思う。

頭に書いた「デザイナーズ◯◯」という付加価値を分類すると、スタイル的な話だろう。ざっとデザイナーズなものを見回してみると、1920年ごろのバウハウススタイル、同時代のモダンスタイル、また1960年代以降のミニマリズム、またそれらの融合的なものが多く見受けられる。当然スタイルの中には形状的な話も含まれるが、上記のようなスタイルを総称して「デザイナーズ」と銘打って販売単価を上げているに過ぎない。(まぁそれ自体がマーケティングだと言い切ってしまえば、アメリカ発のマーケティング手法はこれが始まりと言われているのだけれど。)

何が言いたいのかというと、デザイン(特にグラフィックデザイン)は建築と違い、正解があまり存在しない。建築は重力との戦いの中で様々なルールが発生するが、グラフィックデザインにおいては何をどこに配置しようと特に大きな問題は起こらない。しかし「良いデザイン」と「悪いデザイン」は必ず存在する。そしてやはり、カッコイイデザインとカッコ悪いデザインも存在する。だからこそ我々デザインに関わる人間は、何が良くて何が悪いのか、何をもってカッコイイとし、何をもってカッコ悪いとするのかを、しっかりと言語にし、説明し、反芻すべきだと思っている。

カコ

ちょっとカコ

けっこうカコ