かんがえごと


事務所移転しました。

日頃からお世話になっている皆様へ。
弊社株式会社セカイは、四ツ谷から大塚へと移転いたしました。

広告制作事務所として時代の変化をいかに捉えるか。単にその『変化』に対応するだけでなく、『その中でどのような価値を作り出していけるのか』と問い続けることが重要だと考えています。

・感情に伝わるクオリティ
・ジャンルを問わないクリエイティブ
・枠にとらわれないコンテンツ開発

の3つを主眼に進化したいと思っています。

そして進化する・変わるために効果的なことは、決意することではなく、
・時間配分を変える
・付き合う人を変える
・場所を変える

ことだと言われています。そこで、株式会社セカイが大きく進化するために『場所』を変えることに決めました。

■シェアオフィスから1フロアオフィスへ。
旧事務所では、3社でオフィスシェアしていました。新事務所で専有オフィスに変わることで、より集中してスピーディにクリエイティブを行う環境になりました。

■徒歩圏内に4つの路線が。
大塚というと交通の便が悪そうなイメージがありますが、実は徒歩圏内に、山手線「大塚駅」、丸ノ内線「新大塚駅」、都電荒川線「向原駅」、そしてちょっと歩けば銀座線「護国寺駅」の4駅がある、意外とアクセスが良い立地です。(最寄りは丸の内 新大塚駅 徒歩1分)

■リノベーションオフィスで心地よいクリエイティブ環境を。
営業さんの現場はお得意先、カメラマンの現場は撮影スタジオや撮影場所、そして、デザイナーの現場は事務所がメインです。開放感のある天井、深く思考するための広い作業机、落ち着いて話が出来る打ち合わせスペース、良いモノを作り続けるために、作業環境には徹底的にこだわりました。

弊社は創業して今期で7期目となります。創業当初はとにかく闇雲に目の前のことをこなしていたように思いますが、日頃から助けていただいている皆様のお陰で無事続けることが出来、感謝の念に堪えません。これからもより一層クオリティの高いものを作り続けることが出来るよう精進してまいりますので、お付き合いのほど宜しくお願い致します。


「なんかカッコイイよね」というのはカッコ悪い。

ここ数年、『デザイナーズ◯◯』という言葉を聞くことが減ってきた気がする。ただの流行り廃りだったのだろうし、ひょっとしたら東日本大震災を経て日本人の趣味嗜好が変化してきたのかもしれない。少なからずデザインに関わる人間として、あれほど恥ずかしくてダサい言葉はなかったし、「docomo2.0」的なやっちゃった感がぷんぷんする流行語だった。それはなぜか?全ての人工物にはほとんどの場合、デザイナーもしくは設計者が関わっているため、本来的には全てのモノがデザイナーズなんだけれど、「スタイリッシュ」という20世紀的なデザインに「デザイナーズ」という付加価値(的なもの)をつけて高く売りつけようという、詐欺まがいの商法だからだ。多くの方に怒られるかもしれないが、僕は家電ブランドのamadanaがその尖兵だったと思っている。

さて、本題に入ろう。
「なんかカッコイイよね」と言っちゃうデザインに関わる人が多すぎないかい?という話をしたい。広告やプロダクトやUIなんかに従事する人であれば「カッコイイ」ことが表現の中の一手法でしかないことは、すんなりと共感いただけると思う。広告やプロダクトやUIなんかは「カッコイイことが好きな人」だけに対して表現をしてるわけではない。攻撃的なデザインが好きなバブル世代(イメージで言ってるけど)に対しても、わかりやすいデザインが好きなお年寄り世代に対しても、元気なデザインが好きな子供世代に対しても、もちろんカッコイイことが好きな若者世代に対してもデザインを行っていく。その中で「カッコイイ」ということはひとつの選択肢でしかなく、デザインする目的によってカッコイイことを追求「したり」「しなかったり」する。

ここで一つ質問。
今僕が言ってる「カッコイイ」と聞いてどんなイメージを思い浮かべているだろう。未来っぽい感じ?シンプルな感じ?黒っぽい感じ?赤っぽい感じ?appleな感じ?
そう、「カッコイイ」という価値は一つではなく、人によって、時代によって、TPOによって変化する。

例えば僕が思うかっこいいデザインは、「iPhone(もしくはスティーブ・ジョブズ)」であり、SUZUKIのカタナというバイクだったり、亀倉雄策というグラフィックデザイナーが作った東京オリンピックのポスターだったりする。iPhoneはジョブズの持つ思想性と完成度に対してかっこいいと思い、カタナに対してはプロダクトの美しさと機能性の共存、東京オリンピックのポスターに関してはグラフィックとしての強さ。それぞれに対して“違う”カッコ良さがある。
こうした例を挙げるまでもなく、かっこいいとは多面的な価値を持っている。もしかっこいいという価値を3つに分けるとするならば、
・メッセージ(思想性)
・スタイル(時代感)
・形状(美観)
の3つがあるんじゃないかと思う。

頭に書いた「デザイナーズ◯◯」という付加価値を分類すると、スタイル的な話だろう。ざっとデザイナーズなものを見回してみると、1920年ごろのバウハウススタイル、同時代のモダンスタイル、また1960年代以降のミニマリズム、またそれらの融合的なものが多く見受けられる。当然スタイルの中には形状的な話も含まれるが、上記のようなスタイルを総称して「デザイナーズ」と銘打って販売単価を上げているに過ぎない。(まぁそれ自体がマーケティングだと言い切ってしまえば、アメリカ発のマーケティング手法はこれが始まりと言われているのだけれど。)

何が言いたいのかというと、デザイン(特にグラフィックデザイン)は建築と違い、正解があまり存在しない。建築は重力との戦いの中で様々なルールが発生するが、グラフィックデザインにおいては何をどこに配置しようと特に大きな問題は起こらない。しかし「良いデザイン」と「悪いデザイン」は必ず存在する。そしてやはり、カッコイイデザインとカッコ悪いデザインも存在する。だからこそ我々デザインに関わる人間は、何が良くて何が悪いのか、何をもってカッコイイとし、何をもってカッコ悪いとするのかを、しっかりと言語にし、説明し、反芻すべきだと思っている。


広告って何ですか?

みなさま、明けましておめでとうございます。

本記事は、弊社からお出しした年賀状の「広告って何ですか?」という問に対する僕なりの解となります。(年賀状をお持ちでない方も是非どうぞ。)まず、はじめに、年賀状に書いてあった「ちょっとだけいいもの当たるかも!?キャンペーン」の当選者を発表します!!

の、前に、「ちょっとだけいいもの」って何だよ!と一人ツッコミ。

・・・賞品は、[中古のiPhone4]です!

ね?ホントに「ちょっとだけ」だったでしょ?
iPadtouchの代わりとしてオモチャにでもしてください!
というわけで当選番号を数字ランダム生成ツールで出してみます。

当選番号・・・・・・ [55] です!
なお、当選された方からの通知がない場合の予備当選番号は・・・[30]で!
ご当選された方は、お送り致しますのでご連絡いただければと思います。
(ちなみに、僕がワクワクしたいので番号を控えておりません。自己申告制で・・・)

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広告とは何か?

長い記事になってしまうが興味のある方には是非読んでもらいたい。また、広告業界に少しでも携わっている方には出来るだけ読んでもらいたい。

さて「広告とは何ですか?」という問いに対して、あなたは何を思い浮かべるだろうか。広告業界に関わっていない方は「CMとかチラシでしょ」と答える人が多い。もう少し詳しい方だと、テレビCM、新聞広告、雑誌広告、Web広告、ラジオCM、電車の中吊りなどと答える人もいるかもしれない。ただし、多くの場合、それは「広告媒体」であり、「広告」の機能を明確に指し示すものではない。

ところで、あなたは最近なにかの「広告」を見てその商品を欲しいと思ったことがあるだろうか。または買いたいと思っただろうか。もし思ったならば、それはどんな広告だったろう。そして、あなたが最近買ったものは、どういった経緯で買っただろうか。ちなみに僕はここ数年、「広告」を見てモノを買った記憶がない。

広告が効かない、と言われている今、消費者は広告に対して疑念や嫌悪感を抱いていると言ってもよいだろう。生活に必要なモノが全て揃った現代は、買わなければいけない時代ではなく、買いたいから買う時代になった。既に消費はエンターテインメントで、自己表現で、快楽のためのものだ。消費のスタイルが変化し、各メーカーは今までの売上を維持するため、「買いたい」気持ちをより刺激するために、過剰に演出された広告を打ち続けてきた。だが、もはやそうした過剰な演出や大げさな言葉が「ウソ」であると、バレてしまっているのだ。「どうせ広告でしょ」という言葉を、多くの人が一消費者として実感できるのではないだろうか。

そうした実情の中、僕が思う広告の役割とは「好きになってもらうこと」であると思っている。
相手に好きになってもらうには、まずどうするだろうか。どんな声の掛け方をするだろうか。どんな話をするだろうか。コミュニケーションが誠実であるだろうか。どうすれば好きになってくれるだろうか。相手の歓心を少しでも得ようと思うのならば、必死に考えるはずだ。それこそが広告プランニングの正道であり、販売促進(プロモーション)への第一歩であり、成功への近道だろう。

広告に携わっている人間にとっては、広告の教科書に載っているような当たり前すぎる解になってしまったが、この当たり前すぎる解を実践出来ている人がどれだけいるだろう。当然言い分もあるだろう。現実問題、仕事をする中で様々な障害や制約や、訴求しなければいけないことが沢山あるんだと。伝えなければいけないことが沢山あるんだと。僕自身も毎日そういった事象に打ちのめされているし、妥協することもある。ただし、妥協して出来上がったものは、「好きになってもらう」という広告機能のすっぽり抜け落ちた、ただの広告っぽい「告知」でしかない。消費者は告知だけをされたところで、ただ単に、あぁそうか、と思うだけだ。

広告業界の中にいると、「好きになってもらう」という当たり前すぎる広告の役割を忘れてしまいがちになる。何か新しい手法は?新しい表現は?常に新しい何かを求められる業界だからだ。広告のトレンドで、キャンペーン、メディアミックス、ブランドコミュニケーション、360 などと言ったワードが流行り、数多くの手法が生まれては世の中に出てきている。だが、その全ては文頭にあったテレビCMやチラシなどのように、情報を伝えるメディアやメソッドでしかなく、「広告」そのものではない。新しい手法や、新しい表現は当然必要なものだが、それを使った広告は「好きになってもらう」ことを前提とされているだろうか?僕の手がける広告には「好きになってもらいたい」気持ちがきちんと込められているだろうか。

広告が好きだからこそ、広告には力があると思うからこそ、広告とは何か?という問いを厳しく考え続けていきたいと思う。
さて、広告の未来はどんなものになっているだろうか。


伝わらないことから始めるデザイン

地震に際して考えたこと。今更当たり前のことだけれど。
東京に住んでいるけれど、東北の被災地の方にしてみれば被害は無いに等しい生活をしている。だけれど、死ぬ可能性のある大地震の不安を抱えながら東京で暮らしている。グラフィックデザインを生業にしている僕に、今何が出来るのだろうと考えるけれど、生活をする、ということ以外に答えは出ない。

大地震から数日経って、コピーライターやグラフィックデザイナーたちが「コピーに何が出来るか」「グラフィックデザインに何が出来るか」をTwitterやSNSを通じて考えていたのが分かった。そして『Play for Japan』という日本を元気づけるポスターを作ったり『節電』を訴えるポスターを作ったりという比較的大きな運動(というほどでもないが)があった。僕はそういった運動に参加する側の人間でありながら、(全ての活動に対して、というわけではないが)どこか薄ら寒さを感じていた。

<伝える>ことと<伝わる>ことは決定的に違う。前者<伝える>は送り手の意思であり、後者<伝わる>は受け手への結果だ。伝えたいことが伝わる、ということが正常な流れだと考えるけれど、時として<伝えたい>ことと<伝わる>ことが相反することがあり、時として<伝わらない>ことがあり、時として<伝えていない>ことがある。
十数年グラフィックデザインに携わっているが、日頃目にするグラフィックデザインの多くは残念ながら<伝わる>ことをおざなりにしているものが多く見受けられる気がする(勿論、僕が作るグラフィックデザインは違う、とは言えない)。また、<伝わる>ことを過信しすぎているようにも思う。ついつい<伝わるだろう>と思ってしまうんだと思う。

『デザインの力』だとか『クリエイティブパワー』だとか言葉にすると、もっともらしく聞こえるし、デザインは凄いものだと思ってしまう。だけれども、僕が思うことは、デザイナーが言うほどデザインって凄いものじゃないよ、と思う。当然デザインの分野にも寄るけれど、人の心を揺さぶったり、人生観を変えたり、デザインが無いと死んでしまったり、という大げさなものではなく、隣にそっと寄り添って、いつの間にか居座っているものなんじゃないかなぁと思う。

勿論、僕だって大好きなデザインがあるし、大好きなデザインに囲まれて生活したいと思っているけれど、それはデザイン自体が凄いのではなく、凄いメッセージがデザインに乗っかっているから好きなだけだ。そして、僕の好きなデザインはこのメッセージをどうやって伝えようか、という<伝わる>ことに対して真摯な姿勢を持っていて、僕にきちんと<伝わる>から好きなんだと思う。

前述のコピーライターやグラフィックデザイナーたちが地震の時に作っていたポスターを薄ら寒いと感じていたのは、<伝える>という送り手側のことしか考えず、どうやって<伝わるか>という受け手側のことに対して全くと言っていいほどフォローしていなかったからだと感じる。実際に被災地に行かれた方で、現地の人達はポスターなんか全く見ていませんでした、というコメントも目にした。「それでも少しは役に立ったんじゃないのか?何もしないよりはいいんじゃないのか?」という意見も当然あるんだと思う。だけど、僕の反論は「もっと役に立つことがあるんじゃないのか?」だ。

デザインとは<自然に伝わる>ものではなく、<伝わらない>ということからきちんと考えて<伝わる>ように<伝える>ものなんだと、改めて考えた数週間だった。


ネクストデザイン

デザインとは、体系化されていない認知科学、また生態学なんではないかと思い始めている。歴史上、人間はデザインを権威の道具として活用してきた。王と密接に結びつき成長してきたデザインの様々なエフェクトは、現代でもなお活用され充分に威力を発揮している。しかし、モダンデザイン(バウハウス)以降、広告マーケティングと密な関係を保ってきたデザインは、「消費」というゴールに向かって新しいメソッドを次々と開発してきた。いわゆる、プレゼンに勝つ、ような理論ではなく、グラフィックやインターフェイスが人間の行動や思考にどういった働きかけを行っていくのか、ということを考えていきたいと思うようになっている。

写真は明治神宮に挿し込む光。


広告のデザイン

三日坊主になりかけのブログ。ちょっと復活。くそ真面目な記事。

広告デザインでもなく、広告とデザインでもなく、広告“の”デザインというのには訳がある。デザインはそもそも広告とは別の物だった。デザインの歴史に詳しいわけではないので間違っているかもしれないが、所謂デザインというものと広告が結びつき始めたのは19世紀後半ごろではないか。デザインという新しい概念は色々な芸術運動を生み出したが、広告マーケティングに“発見”され、消費への欲望を生み出す装置という別の側面を見せ始めることとなる。

そうして21世紀を迎えてはや10年。今までのデザインという言葉は旧来の概念からそろそろ脱皮しようとしているのではないかと感じることがある。また、僕自身もそうあるべきなのではないかと思うときがある。グラフィックデザインにとって広告がいわば親となり時には敵となりデザインを育てあげてきたわけだが、そろそろ少し親元を離れて考えてみるのも良いかもしれない。ただし、芸術が権威をパトロンにしたようにデザインは広告をパトロンにし創作を続けているのも事実。googleが結局のところ広告という縛りから逃げ切れないように、デザイン自身も広告から逃げ切れないかもしれないが、鍵はサイエンスにあるような気がしないでもない。

たまにはこんな風に時代を飛び越えて思考を巡らせるのも楽しいが、マクロとミクロ両方の眼で覗き込んで行きたいと思う。


80%

きちんと「伝える」ためには、100%全て伝える、では伝わりにくいのではないかと思うことがある。情報の80%を伝えて残り20%の余地を残して置くべきだと思う。「伝わる」ということを厳密に考えるとそれはあくまでも幻想にすぎず、「伝えたはず」のことを相手に素材として思考してもらうことこそが「伝える」ことなのではないか。情報をバラバラにして、“情”を『波』/“報”を『面』 として捉えてみる。相手の心を動かすためには、面として構築し波として揺らすことが必要だと感じることがある。そうして初めて情報が完全性を持ち得る。そして波を感じることが出来れば、相手の内からも波が起こって来るものだ。20%の余地は、そうした波を起こさせるための契機となりえるのではないか。こうしたことを頭の中だけでなくきちんと仕事に反映出来るようにしたい。


挨拶の仕方

コミュニケーションということについて仕事柄考えざるを得ない。
コミュニケーションとは情報のやりとりだと僕は思っている。「こんにちは」という言葉を発しても、向こうから来る人に手を少し上げても、廊下をすれ違うときに軽く会釈をしても、「こんにちは」というメールを送っても、“挨拶をする”ということ自体には大して代わりはないし、言いかえるならば“挨拶”という情報を交換し合っている、とも言える。

“挨拶”という情報をどうやって伝えるかはTPOに応じて選択していくわけだが、その選択自体を脳がどのように処理しているのかを知ることが出来ればコミュニケーションやデザインに少しでも活かすことが出来るのになぁと思うし、実際にデザインや広告コミュニケーションの未来はそうなっていくべきだと感じる。

写真はWired Visionで昔拾った、ラットの脳のシナプスに色を付けた実験画像。


セカイのサイトがオープン。

今年の夏で会社を設立して2期目が終わり、3期目が動き出している。
とにかくガムシャラに必死に仕事をこなしていく時期が終わり、
一度振り返ってこれからの道筋や仕事のあり方などを考えている。

デザインへの尽きぬ興味、デザイナーとして社会とどう関わっていくのか、
会社とは、人との新しい出会い、様々なものが刺激となり
新しいものを作る活力となっていく。

とりあえず会社のサイトと会社案内がようやく完成した。
「誰か」の「何か」をデザインしてきた10数年間だが、
今更ながら自分や会社自身の形を精密にリデザインしてみようと思っている。